全国発リーガルジャパン弁護士ブログ

ブログビギナーの憂鬱

Posted : 2012/03/23

東京事務所の加藤です。
3月というのに寒い日が続き,子供もインフルエンザにかかるなど季節外れな気候が続いております。

さて,今回ブログを書くにあたって,弁護士が裁判員に話しかけて誰が積極的に発言しているか聞き出した,というようなニュースがあり,
ニュース内容と当該弁護士の主張が少々異なっていることから,同じ東京の弁護士として(当該弁護士も東京の弁護士で,裁判は東京地裁立川支部で行われておりました),

当該弁護士の言い分についてブログで取り上げよう!

と思っていたら,昨日,日隈弁護士に書かれてしまいました(裁判員裁判と喫煙所)。

同じテーマを複数の弁護士が取り扱うというのも,複数の弁護士が執筆を担当する本ブログの長所であるかとは思いますが,
私,前回も日隈弁護士と似通った内容の記事を書いてしまっており,かつ,内容的には鳥居弁護士の記事と同じテーマ(光市母子殺害事件)を扱うものでした。
二回連続で同じテーマで書くのはあまりに芸がないので,今回は違うテーマを扱わせていただきますm(_ _)m

前置きが長くなりましたが,21日に大阪地裁にて寝屋川市女児虐待死に関する裁判員裁判の判決がありました(ニュース記事)。
当時1歳8カ月の女の子を殴打して死亡させ,傷害致死で起訴された両親に対して,検察官からの求刑10年に対して15年の判決が言い渡されました。
ちなみに,傷害致死罪の法定刑は3年以上20年以下の懲役刑とされております。

ニュース記事にもありますが,裁判員裁判において求刑を超える判決が言い渡されることは少なからずあります。
裁判「官」裁判ではそのような判決はめったになく,「求刑の7掛けが相場」とも言われており,
かつて求刑を超える判決が違法であると争われたことがあるほど求刑というのは判決における上限と捉えられている節がありました。
求刑はあくまで検察官の量刑に対する意見なので,当然,裁判所がそれに拘束されるということはなく,
まして民意の反映を目的とする裁判員裁判なのですから,従来の量刑相場にもとらわれる必要はありません。
その意味で,裁判員裁判において求刑にとらわれず,裁判員が自由に意見を述べられていることの表れであり,それ自体は制度の運用として成功している面ではあります。

しかし,一方で裁判がいたずらに感情化しているのではないか,という批判は免れません。
犯罪,特に人が死傷しているものに関して,近年,重罰化の傾向が顕著にありました。
そしてこの傾向は裁判員裁判が始まる前からありましたが,裁判員裁判においてはさらに顕著となっているように思われます。

日本の刑法は量刑において極めて広く定めれており,その分裁判官の裁量が広くなっております。
そして裁判官において民意を反映して重罰化となることは,裁判のあるべき姿と言えます。

ただし,その「民意の反映」とは,世論が重罰化を望むので重罰化する,という単純な話ではなく,個々の事件において
当該被告人に対する贖罪や被告人の更生可能性,当該事件の社会的関心及びそれに対する判決の社会への影響等を考慮した上で量刑が決定されます。
裁判官の刑罰に対する考え方にもよりますが,個人的には,被告人の更生可能性という面が最も重視されるべきものであると考えております。

このようなことを前提とした場合,裁判が感情化していることは本来あるべき裁判とはかけ離れてしまう危険が大きいと言えるかと思います。
もちろん,

人を殺した人がその後も生き続けるのはおかしい

子供を殺すような人間は生きる価値がない

自分の子供が殺されたと考えた時,重罰を課すのは当然

といった意見はそれ自体決して否定できるものではありません。
私自身,この事件に限らず,幼い子供が虐待され死に至る事件を目にするたびに,小さな子を持つ親として,
犯人の冷酷さ,残虐さを勝手に想像し,憤りを感じます。
仮にいま,自分の子供が身勝手な理由で殺されたとあれば,私も犯人を死刑にしたいと強く思うだろうことは想像に難くありません。

しかし,それは一個人の感情にすぎません。
私は弁護士の立場としては,犯人を死刑にすべきといおう言葉は口にすべきではないと思います。

裁判員として,どのような発言をすべきか,というのは少々踏み込み過ぎであり,
裁判員にその立場を考えて慎重な発言を求めるつもりもありません。
(もとより,裁判員の方が委縮して議論が進まないことは望むところではありません)
ただ,民意の反映を目的としているとは言え,あまりに感情に任せた意見に偏ってしまうことは裁判制度との兼ね合いで非常に困難な問題を抱えることになってしまいます。
現在の裁判員裁判の運営では,こういった本来考慮すべき点であったり,意見が偏ってしまった際の修正(異なる視点の提示)については,裁判員同士で行えない場合には裁判官に委ねられているようですが,
その場で意見を変えることは時間的な面からも非常に難しいように思われます。

本来であれば,裁判とは何か,何を目的としているのか,裁判において何を重視すべきなのかといった点は,学校教育においてしっかりと自身の考えを確立されているべきだと思いますし,
そういった教育があって初めて従来の裁判制度の中での裁判員の存在意義が際立ってくるのではないかと思います。
個人的には,裁判員裁判自体は賛成なのですが,裁判員裁判について議論している時,従前の裁判との兼ね合いでは,異次元の話をしているような感覚がぬぐえず,
異次元の裁判が併存する現在の制度の落着きの悪さを感じてしまいます。

まとまりのない記述になってしまいましたが,結論としては,前回の記事と同様,法教育を充実させるべきということですね。
結局,全く芸のない記事になってしまいました。

ブログを書くテーマを悩んだだけに,ショックです(笑




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